鍼治療に行ってみよう!


かねてからのあこがれであった(?)鍼治療を初めてうけた。
ずっと前から、鍼を全身にやってもらったら、どんなに体がすっきりするだろうと思っていた。が、全く何も知らない所にいきなり行くのは恐かった。それがたまたま、嫁のママ友達の親が、鍼治療院をやっているとのことを知ったのだ。
嫁は先発として、昨年の内に行っており、その時に言われて腑に落ちる体の不備を指摘されたそうで、うらやましかった。

前置きが長くなるが、鍼治療には、独特な思い出がある。小学生の頃、バスケットボールで薬指の骨にヒビが入り、近くの整骨院に行った。そこがたまたま鍼治療もやっていて、最初は電気治療だったけど、気がつくといつのまにか、鍼治療に変えられているという、素晴らしいシステムであった。
小学生の私は、鍼治療がとても恐かったのだけど、勇気を試されているようで、恐いとか言わずに、これも治療が終わるまでと我慢していた。当時、大地震の60年周期説が言われていて、明日にも関東大震災がくるのではないかと、怯えていた。ちょうど、ノストラダムスの大予言もテレビでブームでそれにも怯えていたけど、1999年はまだまだ先だった。話がそれたけど、鍼治療をしている最中に大地震がきたら、どうなるんだろう、ということを想像するのが恐かった。幸い、治療期間中にさしたる地震もなくよかったのだが、手のヒビ治療だけの筈だったのに、いつの間にか、「頭が良くなるから」と脳天にもうたれ(後年、確かにそこにツボがあることはわかった)、「君はアレルギー鼻炎だね。それも直してあげよう」と、治療はエンドレスになってきた。
その後、鍼医への通院はいつ果てることなく続いたが、「引越」という物理的な理由で立ち消えになった。そういった過去があり、鍼治療には抵抗感はなく、むしろ肩こりとか直るのだったら、是非やってもらいたいと願う反面、やっぱ治療の最中に地震とか来たら恐いという(もう大人なのでそれはないけど)反面がある。

そしで、今回の約25年のブランクを経た鍼体験である。
のっけから、上はシャツ1枚、下はパンツ1枚にされたのは、ちょっとびびった。
そして、ベッドに横たわれと言われて、かなり間抜けな姿である。鍼医者に行く時は、プライドを捨てて行った方がいいだろう。
最初は、定番の腹をさわっての診察からはじまって、脚とかを見ているのかなと思っていると、ちくっとすることがあり、知らない間に鍼治療は開始されているようである。どうも、小学生の時の体験(電気治療なのにいつの間にか針治療に)と同じで、診察からしますよといいながらもいつの間にか鍼治療が始まっていることなど、鍼治療の世界には、はっきりした境界線はなく、いつのまにか自然体で、物事が変化している姿が理想らしい(勝手に考えました)。やはり中国の思想はあなどれない。
とにかく、主な症状が肩こりでも、鍼治療は全身に施すらしく、脚から、首ぐらいまでいろいろな箇所を、テキパキと鍼をうたれる(というか、見えてないので、触っているだけなのか、鍼をうっているのか、実際はよくわからない)。時々、右を下にして、とか言われて、体の向きを変えると、手にだら〜んと鍼が刺さっている。剣山のように刺さっているのではなく、鍼も弾力性のある鍼なのか、本当にだら〜んと刺さっているのだ。でも、手に鍼が刺さっているのなら、「手に鍼刺してあるから、注意して体の向きを変えて」とか、一言あってもいいかと思うけど、それはなかった。体の向きを変えようとすると、「あれっ、手に刺さっているよ!気をつけないと」と自分で思うだけである。

30分か1時間か、よくわからない悠久の時が流れ、最後にちょっとだけマッサージもあって、鍼治療は終了する。確かに全身が楽になった気がする。治療代は4,000円で、結果としては満足である。また、行ってみたいと思う。次は、鍼がささっている自分というのを、冷静に客観視することを目標としよう。